榊原(葉っぱ)です。
今日、やっとクローゼットの中を衣替えをした。
引き出しの中の奥にTシャツを見つけた。
このTシャツはデパート勤めの娘が働いている店で買ったものだ。
Tシャツにしては高い。
娘の店は単価が高く、たかがTシャツのくせに(Tシャツさん、ごめんなさい。)こんなにするのという
値段だった。
その時、私は母と一緒に店に来ていた。
私は滅多に服を買わないが、季節の変わりめの、娘が「今なら家族のみ安いよ。」って言う時に娘の店に行く。
安いといっても、もとが高いから私にとっては安くないのだが、頑張っている娘のためにと思い切って買う。
結局大事に着るし、娘のアドバイスもあるので長く着られる。
そのTシャツは素材がよく、デザインもシンプルでロゴが洒落ていたので、気に入った。
私が手に取っていると、母が「私が買ってあげるよ。」と言ってくれて、母がお金を出してくれた。
母は孫がいきいき働いている姿を見て嬉しそうだった。
この夏、私はそのTシャツを何度も着た。
大事に大事に着た。
シンプルなTシャツ。
なんでもないただのTシャツと言われれば、確かにそうだ。
でも、気に入って着ていた。
雨が続いたある日、母が「Tシャツにアイロンかけておいたからね。」と言った。
我が家は完全分離の二世帯住宅で、玄関も台所も風呂もトイレも別で普段は別々に暮らしているが、
洗濯物の取り込みは私が仕事をしているため母がやってくれている。
「えっ!!」と私は思った。
あわてて見てみると裏からアイロンをかけたといえ、ロゴの部分にまでアイロンをあててしまったので、
ロゴがとんでしまっていた。
「えー!!なんでそんな余計なことをするの!!」と私は怒った。
洗濯物を取り込むことはしても母はアイロンまでかけてくれることは今までなかったのに。
母は「ごめんなさい。雨が続いたから生乾きかと思って。」としゅんとなった。
私は大事にしてたのにとか、もう余計なことはしないでとか怒鳴った後、
母がしょげているのを見て反省した。
ああそんなこと言わなければよかった。
母が悪いわけではないのに。
「ごめんね。言いすぎた。」と謝った。
主人の転勤で愛知県を離れてからもう一度この土地に戻って家を建て、
父母と暮らして20年くらいになる。
お互い甘えるところは甘え、遠慮するところはして、仲良く暮らしている。
母は私の大事にしていたクリスマスローズを切り戻すつもりで花も葉っぱも全部切ってしまって
ダメにしてしまったり、ちょっとやりすぎちゃうこともあったけど、
私はその都度「あ~あ。」で終わってきた。
年代も違うし、子育ての考え方も違っていたけど、お互いを尊重しあってやってきたから、
うまくいっているのだろうと思う。
それは私には後悔していることがあるからだ。
私が祖母に対してひどいことを言ってしまったと悔いているからだ。
私は自分の子(祖母からみれば曾孫)に祖母が赤ちゃん言葉で話しかけるのが許せなかった。
お風呂を「だんだ」、靴を「くっく」、靴下を「たーた」と言うのを、その都度「違う。」と訂正していた。
そのうち祖母がその言葉を使うと、こどもたちが「たーたじゃないよ、靴下だよ。」と一つ一つ否定するようになった。
その時の祖母の悲しそうな顔を思い出す。
祖母が亡くなった時、私は本当に悪かったと泣いた。
どうでもいいことだったんだ。
「だんだ」でも「たーた」でも「くっく」でも。
ただ「ありがとう。」と言えばよかったんだ。
こどもたちをかわいがってくれたんだもの。
「ごめんなさい。」と謝りたい。
でも、祖母はもういない。
だから、私は母には悪かったと思ったらすぐ謝る。
だって、どうでもいいことなんだもの、Tシャツなんて。
それより母が私のためにアイロンをかけてくれた気持ちを大切にしたい。
Tシャツは捨てられなくて、夏服をいれたボックスにしまった。
来年もまた着よう。
着ようと思ったら着られるし、母が買ってくれたものだから。